静寂にて探すピース

生きながら自分の感情が全然定まらない。日々の生活の中で「これは怒り」「これは悲しみ」「これは戸惑い」みたいにその時々の感情を即座にバチっとハメながら生きるの、あまりに難しい。特に人と会話している最中はそう。事象と、それに対する感情を自覚することが、同時進行では出来ない。絶対にタイムラグが生じる。

つまり他人と話している時に自分で自分の感情が分かってないということ。

わかんないから、当てはまりそうな適当な感情を適当に示すことで毎日をやり過ごしている。答えのピースが自分の手持ちデッキにないから、「一般的にはこうだろ」「常識的に考えたらこうだろ」と類推して、いちいち厚紙を目分量でピースの形に切っている。厚紙を切る作業はアホみたいに遠回りで億劫だが、物心ついてから22年間も続けていれば、普通の人が自分の中からピースを探すのと同じくらいのスピードで(会話の相手に違和感を与えないくらいには)こなせるようになった。そうしているもんだから、私はいつの間にか自分の本当の感情を見失いがちになってしまった。

自分の中の信条として『布団の中の自分は仮死状態カウント』というものがある。布団の中の私は生きていない(時が止まっている)から、一旦落ち着いた状態で自分のピースを探すことができる。最近はタイムラグをとりあえずほっといて(後回しにして)溜め込んでしまうので、夜の反省会に回される課題が膨大な量になってしまう。嫌気がさしつつも、その日にあった膨大な事柄と、付随する感情を想起して、整理する。先程生成した歪みだらけの即席厚紙ピースを元に、私由来の天然私を使用した100%私成分の私産ピースを発見・生成する。そうして初めて「あぁ今考えてみると私あの時ムカついてたんだ」と納得する。

自分の中に眠る、自分が納得できる本当の感情は、生きているうちには到底見つからないと思う。見つけるには生はあまりにも騒がしすぎる。より深い答えを求めるなら、より深い静寂が必要になる。完全なる私のピースは、私の死の中にしか存在しないのかもしれない。