みんななくして笑ってやるよ

小学校高学年頃からずっと非現実を追い求めながら生きてきた。非現実は自分の身に起こった瞬間に現実に成り下がってしまうのに、空想の世界で妄想する快感に取り憑かれてしまったからか、もうその生き方をやめられない。しんどいなぁ。それ、もう、既に私じゃないのに。こんなに無意味なことあるだろうか。自分じゃないもの使って、あたかも自分かのように空想するって、ひどいオナニーだ。

自分のこと、世界で1番嫌いって思う時と、世界で1番可愛いって思う時が交互に(または同時に)くる。でもよくよく考えてみると可愛い時の私って、本物の私じゃない。理想化した非現実の私だったりする。そうなると「じゃあ自分って一体なんなんだ」とまた答えのない思考に絡め取られてグルグルしてODしてしまう。アホみたいに言い古されたチンケなフレーズだが、いつだって人は答えのない問題に苦しむ。東大生だって安倍晋三だって隣の汚部屋に住む顔も知らない住人だって、自分の他の全ての問題を棚上げして、生きる意味について考える時間があるはず。だからといってその事実によって別に私に勇気は湧かないけど。

たぶん私は自分を無条件で愛してくれる人をずっと探しているんだろうな。愛するまででなくとも、受け入れてくれる人、とか。それはもはや恋愛対象じゃなくて家族みたいな、何があっても自分の味方でいてくれる人。友達では超えられない線を超えた人。枠のこっち側に入ってきてくれる人が欲しい。

そもそも自分が愛せない自分を愛してもらおうなんて都合良すぎるし、他人を受け入れるつもりもない癖に受け入れてもらおうなんて、ちゃんちゃら可笑しいんだけど。絶対にそんな人現れない(非現実)って分かっているからか、その矛盾が自分自身でもちょっと好きだったりする。そこも含めて妄想芸人だよなあ

とりあえず家族になってくれない彼氏はいらないということ